プログラム部分原稿

お陰様で2020年3月8日(日)の《鼓動する聲――オペラ歌手が描く「生き様」の数々》は、新型コロナウィルスの影響が懸念される中での開催ではございましたが、無事終演いたしました。

当日のプログラムを一部公開させていただきました。当団につきましても昨今の状況を鑑みて、いわゆる生舞台の公演に留まらない芸術文化振興の在り方を模索しております。今後とも皆様にお楽しみいただけるパフォーマンスの実現に努めますので、何卒よろしくお願いいたします。

 →企画ページトップはこちら

 →出演者プロフィールはこちら

◎『一人芝居ミュージカル短編集』とは?

 このシリーズは元々「過去に実在した人物の生涯を、一人当たり30分程度のミュージカルに仕立てる」というコンセプトのもと、作曲家としてもパフォーマーとしても幅広く活動する伊藤靖浩氏が主催で上演されていました。しかし、その後も多くの役者や舞台スタッフに注目され、今では様々なカンパニーが扱っています。

 

・「ひとくちアイスクリン[竹久夢二]」伊藤靖浩作曲/今井夢子脚本

(テノール:佐々木洋平/ピアノ:齋藤誠二)

大正ロマンを代表する人物に数え上げられる竹久夢二(1884-1934)は、画家として「夢二式美人」と呼ばれる多くの美人画を残したほか、デザイナーや詩人としても活動しました。その活動の背景には、彼の生涯に関わった女性達―― 一時は籍を入れたたまき(1882-1945)、夭逝した彦乃(1896-1920)、若くして夢二と同棲したお葉(1904-1980)等との諸エピソードがあります。

竹久夢二が題材ならば、当然主演の男優は夢二役だろう…という通念を破るようなこの作品は、沢山の声の引き出しを持つ歌い手が演じることでいっそう趣深いものとなります。

 

・「世界一美しい発明家[ヘディ・ラマー]」伊藤靖浩作曲/鈴木友隆脚本

(メゾソプラノ:里まり/ピアノ:齋藤誠二)

 女優としてのセンセーショナルな輝き、前途多難な結婚生活、作曲家ジョージ・アンタイル(1900-1959)との出逢い、発明家としての顔、遅すぎた科学界からの評価……と波乱の生涯を送ったヘディ・ラマー(1914-2000)。今日はその少女期から老年期までを、独りの歌手が駆け抜けます。曲ごとの声色の変化や、あたかも台詞があるかのように応えるピアノの音色にもご注目ください。

 

------------------休憩-------------------

 

◎音楽劇《ゴローと呼ばれた男―「蝶々夫人」の軌跡―》舘亜里沙脚本

(ゴロー:高橋拓真 お蝶/お花:和田奈美 

千早/ 路傍の女:持田温子 賢木/ 継母:大寺亜矢子 Pf畠山正成)

 

・オペラ《蝶々夫人》のあらすじ

舞台は明治期の長崎。アメリカの海軍士官ピンカートンは、日本に滞在する間の戯れに、斡旋屋のゴローに頼んで、丘の上の「小さな紙の家」と「現地妻」を買った。ところが、ゴローに紹介されて現れたのは、15歳の可憐ながらも芯の強い、夫に忠実であろうとする少女――蝶々さんであった。彼女は没落した武家の娘で、この結婚が決まるまでは芸者として身を立てていた。さらに蝶々さんは、ピンカートンと同じ神様を信じるべく改宗し、僧侶の叔父をはじめ家族全員と縁を絶ってしまった。

 それから3年が経ったある日、蝶々夫人は青い目の子供を抱え、海を渡って行ってしまったピンカートンの帰りを、ひたすらに待っていた。蝶々夫人が「現地妻」に過ぎなかったことを知るシャープレスは彼女のもとを訪ね、新しい生活を考えるよう説得を試みるが失敗。ゴローは再婚候補を連れて来るが、やはり無下に追い返され、腹いせに子供への侮蔑の言葉を吐く。ところが皆が去った矢先に突如大砲の音が聞こえ、港に一隻の船が入った。その名前がピンカートンの乗る船だとわかった蝶々夫人は、自分の愛が勝ったと歓喜し、庭の花という花を摘んで部屋に撒き、結婚した時の衣装に着替え、夫を出迎える準備をする。

しかし翌朝になっても、ピンカートンが蝶々夫人の前に姿を現すことは無かった。代わりに彼女に声をかけたのは、いたたまれない様子のシャープレスと、アメリカの「本妻」ケイトであった。「終わり」を悟った蝶々夫人は「ピンカートン本人が来るなら子供を引き渡す」と告げると、父の形見の短刀を自らの喉に突き立てたのであった。

 

・《ゴローと呼ばれた男》あらすじ

  蝶々さん(お蝶)が非業の死を遂げてから10年後、ゴローはお蝶への良心の呵責を抱き続けながらも、「女性を売る」仕事から脱することは出来ず、今や幾人もの女を抱えた娼婦館の長となっていた。そこでは女盛りでゴローからの信頼に驕れる千早、寄る年波には勝てず局となりつつある賢木をはじめ、女同士の確執もまた渦巻いていた。

 そこへある日、館にお蝶と瓜二つの女性お花が現れ、ここで働きたいと言い出す。お花の出現が、過去の蘇生であり新しい苦しみの始まりだとわかっていつつも、ゴローは彼女に「胡蝶」という源氏名をつけ、お蝶の姿を重ね合わせる時間を過ごし始める。

 かつて、ゴローとお蝶は幼なじみだった。ゴローはお蝶に恋心を抱いていたが、よくわかっていた。彼女は侍の娘、自分は生活のために斡旋屋をやっている身、想いを口にしてよいわけがない…その後、お蝶の家が零落し、自分が彼女を「売る」ことになるなんて、夢にも思っていなかったが…。

 お花の存在がゴローや館の女達の様相を変えていったかのように思われたある日、ゴローのもとにお花を身請けする話が持ちかけられる。お花との別れを寂しく思いつつも、彼女が幸せになれるならと送り出したゴローであったが……。

 

・脚本と演出に寄せて

 ゴローはオペラ《蝶々夫人》において、いわゆる主役用のアリアなどは与えられていないものの、蝶々さんを「現地妻」としてピンカートンに斡旋した張本人であり、いわば悲劇の鍵を握っています。にも拘わらず、いよいよ蝶々さんが自分の立場を知り自刃する第3幕では、忽然と姿を消してしまっています。演出する側としては、露骨に歌詞に感情が出てこない、歌っていないけれど舞台上にいる時間が多い点で、諸々人物像や演技を考えさせられる人物です。今回はこのゴローについて、オペラ《蝶々夫人》で語られることはない前日談・後日談を描きました。先述のような設定から、悪役に描かれることも多いゴローですが、彼はなぜ蝶々さんを「斡旋」したのか、蝶々さんとはその昔どのような間柄だったのか、そして蝶々さん亡き後をどのように過ごしたのか…

「ゴロー」という取って付けたような日本人名は、19世紀末~20世紀初頭に西欧で描かれた「日本を舞台にしたオペラ」では、珍しくはないことなのですが、今回は敢えてその名前に意味を持たせてみました。「ゴロー」は彼の本当の名前ではなく、斡旋屋として生きる名前。しかし蝶々を死に追いやったことで、彼は本当の名前を知る最後の人物を失います。様々な想いを押し殺したまま「偽りの名前」に生きてゆくゴローの哀しき「生き様」に、共感いただければ幸いです。

 

♪使用楽曲♪

・G. ロッシーニ《音楽の夜会 Les Soirées Musicales》より第4番〈饗宴 L'orgia〉(高橋)

・G. ビゼー《アルバムの綴りFeuilles d'album》より〈ギター Guitare〉(持田)

・P. マスカーニ《アヴェ・マリア》(和田/高橋)

・C. ドビュッシー《星の輝く夜 Nuit d'étoiles》(高橋)

・F. リスト《「どうやって?」彼らは尋ねた Comment,disaient-ils》(持田)

・G. フォーレ《蝶と花 Le papillon et la fleur》(和田)

・R. アーン《私の詩に翼があったなら  Si mes vers avaient des ailes》 (和田/高橋)

・W. A. モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》より

《お願い愛する人、赦してください。Per pietà, ben mio, perdona》(和田)

・S. ラフマニノフ《楽興の時》より第3番(畠山)

・ヴィアルド=ガルシア《ショパンの12のマズルカ》より〈愛の嘆き Plainte d'amour〉(持田)

・P. マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》より〈Regina coeli 天の女神よ〉(畠山)

・G. プッチーニ《西部の娘》より〈やがて来る自由の日 Ch'ella mi creda libero e lontano〉(高橋)

・G. プッチーニ《蝶々夫人》よりハミングコーラス

※そのほか劇中にピアノ独奏で現れるフレーズは、《蝶々夫人》のオーケストラパートより引用しています。