あらすじ

【第一幕】

ある晩パリのポンテヴェドロ大使館では、大使ツェータの主催でパーティーが催され、同地に駐在する貴族達が集っていた。そこには不倫、嫉妬、片思い等が飛び交うが、愛妻ヴァランシェンヌの貞操を信じて疑わないツェータは、彼女がパリの貴族カミーユと許されない恋をしていることに、気が付かないのであった。それよりツェータの心配事は、独身の貴族達の注目を一身に集める「陽気な未亡人」ことハンナ・グラヴァリ夫人。あだ名の通りハンナは莫大な遺産をポンテヴェドロ国の銀行に預けているのだが、彼女が他国の男性と再婚しそのお金が国外に流出してしまうと、小国ポンテヴェドロは財政破綻なのだ。

ハンナの再婚を阻止するべく、ツェータは彼女と旧知の仲であるダニロ伯爵を呼び出すが、彼は行きつけのキャバレー「マキシム」から泥酔状態で現れ、再会したハンナともぎこちないやりとり。実のところ2人はかつて恋人同士で、ダニロは財産目当てだと思われることを恐れて、ハンナへの変わらぬ想いを口に出来ないのだ。ハンナもダニロが打ち明けないことに苛立ち、彼に宣戦布告する。

そうは言いつつもツェータの命に逆らえないダニロは、手を尽くして彼女にダンスの相手を申し込んで群がる男性達を一掃。大きな計算外だったのは、ヴァランシェンヌがカミーユを連れて現れたことだったが(彼女は危険な恋を傷つかずに終わらせるべく、カミーユとハンナを引き合わせようと踏んだのだ)それも切り抜けて、ダニロはついにハンナと2人きりとなることに成功する。

 

【第二幕】

翌日、今度はハンナが昨晩のパーティーの御礼にと、皆を自邸に招待する。ダニロとの意地の張り合いも持ち越しだ。相変わらずハンナの再婚相手に頭を悩ませるツェータは、ヴァランシェンヌが前夜に落とした扇子を(妻のものとは知らず)手に入れていた。扇子にはカミーユの字で「愛している」と書かれており、ツェータは次の策をダニロに持ち掛ける。扇子の持ち主、即ちカミーユと関係を持つ人妻を特定し離婚させ、その人妻とカミーユを結婚させることで、彼がハンナに接近するのを防ぐというのだ。

ところがその頃ヴァランシェンヌは、カミーユの誘いにのって邸内の四阿で彼と2人きりになっており、ツェータにその様子を覗かれてしまう。そこで彼女をかばって裏口から入れ替わり、カミーユと四阿から出てきたのはハンナだった。この事件を機にダニロの本心を暴きたいハンナは、カミーユと婚約したと宣言。嫉妬に狂い飛び出すダニロを見て、ハンナは彼の愛を確信し喜びの声を挙げる。

 

【第三幕】

ハンナはダニロを呼び戻すべく、かつてはパリの踊り子だったというヴァランシェンヌの協力を得て、「マキシム」風の催しを開く。そして作戦通り戻ってきた彼に、本当はカミーユと結婚する気などなかったと告げる。ダニロは祖国が救われたと歓声をあげるが、その先にはまだ黙したままの愛の言葉があった。一方、ヴァランシェンヌは四阿での一件が露見し、窮地に陥る。ツェータは妻に離婚を言い渡し、祖国の為とハンナにプロポーズする。するとハンナは「私は再婚すると無一文になるの」と答える。それを聴いた途端、ようやく「愛している」と叫ぶダニロ。ハンナは「なぜなら私の遺産は新しい夫のものとなるから」と付け加え、ダニロの求婚を受ける。取り残されたツェータも離婚宣言を撤回し、皆がハーッピーエンドを歓ぶ中、幕となる。

 

廃墟の向こうの20年前――《メリー・ウィドウ》演出ノート

《メリー・ウィドウ》は「楽しい」演目だ。一小国が破産寸前であるという深刻な状況が背景にあるにも拘わらず、登場する貴人・貴婦人は色恋沙汰に戯れ、時には意地を張り合い、時には執拗に追いかけ、時に大口を叩き、時に騙し合う…彼・彼女らの滑稽な「踊り」にある種の虚しさを感じるのは、私だけだろうか。

 同作品が初演されたのは1905年。その生まれであるウィーンでは、数百年にわたってヨーロッパの一角を支配してきたハプスブルク帝国が、いよいよ終わりを迎えようとしていた。ここでタイトルロールとして物語を動かしているのは、爵位を持つ男性達ではなく、お金という最も現実的な「力」を持った一女性市民、しかも独りで渡り歩く未亡人である。由緒ある「名前」を持つ男性達が、この未亡人ハンナを追い回す有様は、血筋や家柄を重んじ、気品・教養を備えてきたかつてのヨーロッパの貴人達とは程遠い。もはや19世紀までのヨーロッパをかたちづくっていた、あらゆる価値観や作法が通用しなくなりつつあるのだ。だが、このオペラの登場人物達には、どこかそうした時代の変化を見ていないような、あるいは見て見ぬ振りをしているような「あてのなさ」がある。目先の恋の戯れに一喜一憂し、眼前の富をめぐって痴話喧嘩する彼/彼女らに、将来の自分達の姿は想像できるのだろうか…。

 物語の軸となっている架空の「ポンテヴェドロ国」とはどこなのか。これを推察するのも《メリー・ウィドウ》の1つの楽しみ方だ。当時のヨーロッパの情勢をふまえているとすれば、「バルカンの火薬庫」と呼ばれ全ヨーロッパを第1次世界大戦へと引きずり込んでいった、バルカン半島の小国のいずれかなのだろう。その一方で「ポンテヴェドロ風」という設定のもと散りばめられた異国情緒あふれる楽想は、ハプスブルク帝国の領内に在ったスラブ系の文化がモデルになっているようにも思われる。しかしながら、ツェータ男爵をはじめとするポンテヴェドロ国の人々の思想は、オーストリアことハプスブルク帝国そのもののようにも思われる。「祖国」を連呼して愛国心を確かめ合うものの、「祖国」の財政難を救うべく出てくる案は、「ハンナをいかに祖国の男と結婚させるか」という「結婚」をあてにしたものばかり…という彼らの有様は、徐々に結婚政策が功を奏しなくなり、時代に取り残されてゆくハプスブルク家の姿のようにも思われる。

 そんな《メリー・ウィドウ》と当時への想いを胸に、今回は同作品成立から20年後の眼差しで、この物語を伝えたいと思う。ポンテヴェドロ国は消滅し、ツェータは既に亡くなっただろう。20年後のハンナとヴァランシェンヌは登場するものの、ダニロやカミーユがまだこの世にいるのかはわからない。20年後と物語世界を橋渡しするのは、ツェータに仕えていた下僕ニェグシュだ。大使館では呼び捨てでこき使われていたこの男こそ、「祖国」を失った後も虎視眈々と生き延びていた。だが、それは果たして幸せなことだったのだろうか…?かの有名な〈メリー・ウィドウ・ワルツ〉を前に、互いに異なる20年を過ごしてきたであろうニェグシュとハンナは、ついに火花を散らす。私達が生きるうえで大切にすべきことは何だろうか。答えは一人一人異なるかもしれないし、出ないかもしれない。それでもこの「あてのない」問いを、激動のヨーロッパを生きた登場人物達の姿を見ながら、皆様と考えてみたいのだ。

 

【注】ハプスブルク帝国:オーストリアの呼称がつくハプスブルク家の領地と統治体制は、13世紀から第一次世界大戦終結時に至るまで様々な変化を見せているが、本稿では神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(在位1493-1519)が積極的に婚姻政策を行った時期からオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊(1918)するまでを総称して「ハプスブルク帝国」と記載している。